取引と制約

 月が既に西に沈み始めていた。
 近頃は昼間でも寒くて十六夜の立ち待ち月は、夜更けはまだこれからだというのに、その姿を隠そうとしている。
 けれども今が真夜中だというのには変わりがない。
 ポップは闇の中、今まで閉じていた目をゆっくりと開いた。
 寝ていた訳ではない。
 だが、目を閉じ、体をベッドに横たえていたポップは不意に彼の気配を感じ取って、のそりと体を起こして、ベッドから抜け出た。
 寝ていた訳ではなく、ポップは待っていたのだ。
「オイ」
 部屋の中にはポップ以外誰もいないはずなのに、ポップは呼び掛けた。
 闇夜に慣れたポップの視線の先にあるのは壁。それだけのはずなのに。
「おや、気付かれていたんだね」
 不意に、声が響いて。
 壁が歪んだ。
 正確には、壁の手前にある空間が、だ。
 歪み、揺れる空間から、黒い手が生え。
「コンバンワ、魔法使い君」
 現れたのは、月の光を避けるように、その容貌を明らかにした、
 闇の使い。――キルバーンだ。

 ポップが待っていたのは、彼だった。

 不躾な訪問にも関わらず、全貌を晒したキルは相変わらず、何を考えているのか分からない、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべるている。
 ポップはあからさまに顔を歪めた。
 だが、キルはそれすらも楽しいと言わんばかりに押し殺したように小さく笑うのみだ。
「お久し振り、でいいのかな?」
「なにがお久し振り、だ。ずっと見てたくせに」
 言ってやれば、キルが初めて意外だと言うように小さな驚きを仮面に滲ませた。

 バーンとの大戦から、約一年が過ぎていた。
 その間、ポップはずっと感じていた。睨め付けるような視線が、自身を付き纏うのを、ずっと。
 その視線が、誰からのものなのか。気付かない程、ポップは未熟ではない。視線が彼からのものだと察した時は生きていたのかと驚愕し、信じられなかった。
 だが、間違えようはずがない。
 これ程独特で、癖のある気配を、ポップが間違えるはずがなかった。
 それからずっと付き纏う視線を感じていて、だから、ポップは待っていたのだ。
 視線の主が現れるのを。
 それが、今夜だった。

「おや、気付いてたんだ」
「気付かいでか」
「なるほど、そこまで鈍感じゃなかったんだね」
「んだと、コラ」
「なんだ、相変わらず自分が鈍感だっていう事を自覚していないのかい?」
「喧嘩売りに来たなら帰れ、テメェ」
「おやおや、魔法使い君はご立腹のようだね」
 くすくす、と。
 キルは笑った。いや、声や表情に出さないだけで、キルは姿を現してからずっと笑っている。
 小さく笑う雰囲気が仮面に滲んでいる。余裕も、一緒にだ。
 それが、気に食わなかった。
 この男は、ポップが気付いていないとでも思っているのだろうか。
 理由も、意味も、ポップは全て悟っている。
 全てを知った上で待っていたというのに、それを知らないのだろうと決めて掛かるキルの態度が、ポップには気に食わなかった。

 だから、
 布石の一つでも落としてみようか。

 ポップはキルに気付かれないように、ニヤリと笑った。

「折角出て来たんだ。お前に二つ、言いたい事がある。聞いてけ」
「言いたい事? なんだろうね」
「一つ、どうせ付き纏うなら、こんな真夜中じゃなくて昼間に来い。昼間に」
「容認するんだ。物好きだね」
「喧しい。大体なぁ、異空間からコソコソとストーカーしてんじゃなくて、するんなら堂々と正面から来やがれ。
 こちとらテメェがネチネチ見やがるから気になって寝不足なんだよ」
「それは悪い事をしたね」
「それと、もう一つ」
「なんだい?」
 聞かれてポップは、今度はキルにも分かるように、ニヤリとした笑みをありありと全面に押し出した。

 これが、一番の布石だった。

「俺の名前は魔法使い君、じゃなくてポップ、だ」
「何を今更?」
「次から魔法使い君、なんて呼びやがったら問答無用でメドローアぶちかましてやるからな、覚えとけ」
 キルの瞳が開かれた。
 仮面越しにもそれが分かって、ポップは内心舌を出す。
「あのバーンでさえ覚えたんだ。覚えられねぇなんて言わねぇよな」
 笑いながら言ったそれに、今度こそ、キルの仮面に隠し切れない程の驚愕が滲んで。
 ザマァミロ。
 ポップはほくそ笑んだ。

 ポップは気付いている。
 キルがポップを影から見る理由も。
 影から投げ付けられる視線の意味も。
 ポップにしてみれば、気付かない方がどうかしていると思う。
 あれだけ欲を含んだ視線に気付かない訳がない。

「…どうやら、鈍感の汚名返上ってとこかな」
「決め付けてかかるからだぜ。恐れ入ったか」
「恐れ入ったよ、ボクの負けだ」
「ケケケッ、ザマァねぇな」
 キルはようやく、敵わないと諸手を上げた。と同時に、小さく溜め息を吐く。
 まるで人間のような、所作。
 だが、行動だけではない。
 今、キルの中では人間と大差ない感情が渦巻いている。


 いつからだろうか。
 この少年が、欲しい、と。
 慣れない感情を持ったのは。


 キルは興味を持っていた。
 あの大魔王バーンを知力で出し抜き、神々が作り出した最高の生物兵器が心を許し、
人間の身でありながら強大な魔法力をその身に内包する、少年。――ポップに。
 けれど、それは次第に、興味だけではなくなった。止まらなくなった。
 彼という人間を知れば知る程、キルは彼に惹かれていった。
 本能の赴くままに、欲しい、と。
 思うまでに。

 だから、見ていた。昼夜を問わず、彼を追った。
 けれど、それを知って、この少年はどうするつもりなのだろうか。
 いや、どうするつもりなのか、なんて。
 もう分かっているのかもしれない。
 ポップは落としてきたからだ。
 キルの欲の視線に対して、布石を。答えを。

 ポップは言った。
 来るなら正面から来いと。
 名前を呼べ、と。

 ――それは、どういう意味?

 考えても答えは一つしかないというのに、その答えが信じられなくて、キルは自覚なく混乱していた。
 だって、その答えはあり得ない。キルが魔族で、ポップが人間である限り、あり得ない答えだ。
 ならばポップの言葉には他にどんな意味があるというのだろうか。
 分からない。
 まとまらない思考。静かに膨らむ興奮に血が騒ぐ。
 それらを押さえられないまま、渦巻く思考を持て余したキルは静かに尋ねた。
「…ねぇ、魔法使い君」
「ポップだ、っつってんだろ」
「…名前、呼んでも良いって言ったね」
「言ったな」
「…それってどういう意味だい?」
「お前って意外と頭わりぃんだ? それとも臆病になってんのか? 悟れよ」
「…良い方に、…取るよ?」
「好きにすれば?」

 瞬間、部屋を殺気が取り巻いた。

 冷ややかで、それだけで人を殺せてしまいそうな鋭い殺気を生み出しているのはキルだ。仮面にも、キルが苛ついている様がはっきりと滲んでいる。
 怒りが溢れている。
 まるで、馬鹿にでもしているかのような、ポップの態度が、許せなかった。
 理由と意味を知って、こんな風に余裕の態度を取られる事が、まるで自身の気持ちまで馬鹿にされているようで、キルには許せなかった。

 こんな風に、簡単に思われてしまう程、軽い気持ちでポップを見てきた訳じゃない。

「ムカつくよ、魔法使い君」
「だからポップだって」
「黙りなよ。減らず口はここまでだ」
 キルは右手でサラリと空を切った。
 まるで撫でるように、柔らかに流れたキルの掌には、いつの間にか闇夜にも煌めく死神の鎌が握られていた。
「君は何も分かっていない。ボクがその気になれば君の首なんて簡単に刎ねてしまえるんだ。ボクは魔族なんだよ?」
 煌めく鎌をクルリと回転させてキルは刃をポップに突き付けた。
 けれど、ポップの態度は変わらない。
 キルの殺気が、更に増長した。
「知ってるっつうの」
「なら、ボクが君を殺すかもしれないって事くらい、考えないわけ?」
「テメェは俺を殺さねぇ。いや、殺せねぇよ」
「ボクを信じているとでも言うつもりかい? 滑稽だよ」
「んなつもりはねぇよ。テメェが信用ならねぇ奴だって事は、俺が一番よく知ってる」
 自分の何を知っていると言うのか。
 キルは苛つきに任せて刃をポップの首に押し当てた。
 ぴたり、と押し付けられ、ポップの首にひやりと冷たい感触が走る。
 押し付けられているのは人を殺せる武器。首の肉を少しだけ、その形に沈ませているのは、あとほんの少し力を込めただけでポップの首を落としてしまえる、凶器だ。
 だが、ポップは動じない。
「…何が知ってる、だ。ボクは魔族で、キミは人間だ」
「それがどうした」
「…魔族と人間は相容れない存在なんだよ」
「知ってるっつうの」
「…何も、知らないくせに」
「知ってるっつってんだろ!?」

 初めて、ポップが声を荒げた。

 体を震わせる程の声を出したせいか、キルが力を込めた訳ではないのに刃はポップの体に潜り込み、小さな傷を作る。
 赤い滴が首筋を伝っても、ポップは怯まなかった。
「テメェは俺を殺さない。信じてるからじゃない。でも、分かる」
「……何を分かるって言うんだ」
「俺は分かってる。テメェの視線の理由も、その意味も」

 キルの視線。
 睨め付けるような視線の意味と、付きまとう理由。
 その意味は。
 キルがポップに寄せているのは。


 魔族にはあり得ない、愛情から来るものだ。


 キルはポップを欲した。
 それは欲を含み、魔族にはあり得ないものだった。だからキルは自身の思いが信じられず、持て余して、影からポップを見ていた。
 それが、ポップには気に食わなかった。

「俺は知ってる。お前は俺が欲しいと思ってる。だから見てた。だから、俺が名前を呼んでも良いと言ったら、動揺した。ちゃんと全部知ってる」
「なら、それを知ってどうするんだい?」
「言っただろ。堂々と正面から来いって」
「それが?」
「まだ分かんねぇのか」

 ポップは、笑った。

「俺が欲しいなら、影でコソコソしてねぇで正面からぶつかって来い。俺をその気にさせてみな」

 その笑みは、確信犯の笑みだ。
 欲しいなら、堂々と。
 そうすれば、その手に欲したものを掴む事が出来るのだ、と。
 言外にポップは言う。

 勝てない、と。

 キルは今度こそ本当に降参した。

「ポップ」

 初めて、名前を呼んだ。
 ただの個名であるはずのそれは、口にするだけでキルの中に暖かな何かを生み出した。

「んだよ」
「さっきキミが言った二つを守れば今後、堂々とキミに会いに来ても良いって事だよね」
「まぁな」
「キミをその気にさせる事が出来れば、キミをボクのものにしてもいいんだ?」
「やれるもんならな」
「じゃぁ覚悟してなよ。絶対に落としてみせるから」
「期待しないで待ってるよ」

 その時、ポップは初めてキルの優しい笑顔を見た。
 打算のない、心からの笑みを。





END






風吹く夏の湖 -apres- のアイ様から素敵小説頂いちゃいました!!!!


す、素晴らしい〜〜〜〜ww
キル様が!キル様が!!
口説いてるじゃありませんか!!!!!(力説)

しかも!ポップ君が挑発的!
何て子悪魔ちゃんなんでしょうw
そりゃぁキル様だってメロメロですわぃ!
うわぁ・・・姫宮も誘われたい・・・・・ww
その気にさせてにな。なんて言われちゃったら毎日毎晩口説きまくりますよ!ワタクシ!
(メドローア喰らってオシマイな気もするけど/泣)


相互LINKのお礼と頂いたこちらの小説。
嬉しくて涙が出そうですw
むしろ私の方がお礼をせねばならないと言うのに!!

アイ様!本当にありがとうございました!!

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