泣かないで。
そう彼は言った。

咽返る様な夥しい血は、残酷にも止まる気配はなく。
青ざめた顔は、間も無くその命が終幕を迎える事をはっきりと物語っていた。

「・・・いやよ・・・・」


どうか、死なないで。
私の元から居なくならないでと、涙を零す彼女に。
彼は柔らかく微笑んで。
最後の力を振り絞ると、そっと彼女の手を握り込んだ。

「・・・どうか泣かないで。愛しい君。
決して後を追ってはいけない。
君の幸せが僕の望みなのだから・・・」


愛してる。
そう囁いて彼は静かに目を閉じた。
愛する人の腕の中で。

甘美で残酷な言葉を残して。

「いや・・・いやよ!目を開けて!!
死なないで!
置いて行かないで!!!」


幾人かが駆け付ける足音にも気付かず、
彼女は骸と化した温かな抜け殻に縋りつき叫び続けた。


「貴方の居ない世界なんて私はいらない!!!」

愛する者を失った悲しみと絶望。
その言葉は既に黄泉路に旅立った彼には決して届かない。



・・・・それは物語と言うにはまだ若い時代の話------







其は無明の闇に差し込む光



それはゆらゆらとまるで陽炎の様だった。
夕闇の中を淡い光を宿した蝶の形をしたそれは、
まるで道を知っているかの如く、真直ぐに洞窟を進んだ。
右へ、左へ。
求むべき場所へ。

そうして、その場所へ。
一人の男へ辿り着いた時、
それは役目を終え。
ゆっくりと消えていった。


「・・・・そうか・・・・」

それが静かに消えてく様を見届け、
マトリフはぽつりと呟いた。

「逝ったのか・・・トルテ・・・」

目を閉じればいつでも思い出せる、
懐かしく数少ない友人の一人の名を呼ぶ。

まだ若く、向う見ずだった時代を共に過した友人。
決して忘れられる事の出来ない友の訃報に、
マトリフは目を閉じた------。





















目を覚ましてポップはおやっと寝惚けた頭で首を傾げた。
何時もならまだ寝ているだろう筈の師が隣に居ないのだ。
ポップとて別段朝に強い訳ではないのだけれど、
その自分より起きて来るのが遅い筈のマトリフが居ないのは、
本当に稀な事で。
普段寝ている筈の場所に触れてみれば、
ひんやりとしたシーツの感触が起きて時間が経っている事を告げていた。

「・・・珍しいな・・・」

雨が降るなと一人苦笑して大きく伸びをすれば、体は充分に覚醒して。
さて朝食の支度でも始めるかとベットから足を下ろした時、
扉が開かれた。
開かれた扉からマトリフが入ってくるのを見やり、ポップはふと違和感を覚える。
見て分かる程決定的な違和感の理由はすぐに理解出来た。
服が白いのだ。
元々暗めの配色を好むマトリフが白を着込む事は滅多になく。
ましてやそれが酷く正装な物であったから違和感を感じたのだ。
だが、とポップ思う。
それだけなのだろうかと。
理由を問われれば答える事は出来ないが、
何となくそれだけではない気がした。
それはあくまで勘でしかないのだけれど。

「・・・・おはよ、師匠。
・・・何かあったのか・・・?」

少しだけ控えめに声を掛ければ、マトリフは振り返り、苦笑してポップの肩を叩いた。
その仕草はまるで心配するなと言っている様で、
益々強くなる違和感をポップは感じた。

「野暮用が出来た。暫く留守にするかもしれねぇ。」

やっぱり何時もと違うと、
何があったのかと問うより早くマトリフが紡いだ言葉に、
ポップは驚きを隠せないまま師を見つめる。
その様子に苦笑の色を益々濃くするマトリフを見て、
頭より先に感情が言葉になる。

「お、俺も行っていい・・・か?」

この人は、元来偏屈で意地っ張りで。
人に弱みを見せるのが大嫌いだから。


今は決して一人にしてはいけないと思った-------------


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